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Scenery of the Family

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これを見ると僕は、離散してしまった家族の写真を見るような、哀愁を感じてしまうんだ。

僕の実の家族は離散した事ないけどね。

左から、同居していたジョージさん、リッパ、僕、少しの間お世話になった月光荘のP君。

結局、僕は沖縄で2年弱を過ごした。竜宮城のようで居心地がよかったんだと思う。








山嵐 - 山嵐







那覇は松山のクガニヤって居酒屋では色んな面白い人と出合った。

山嵐のベースの武史さんとは、偶々隣あわせたんで騒いだら、同席さしてくれた。






山嵐のボーカルのサトシさん。






写真の一番下にいるのは、那覇で1番硬派なクラブ、火の玉ホールのミツさん。

右腕のスリーブタトゥーは、はだしのゲンのキャラが散りばめられてて、かっこよかった。

あのミツさんの、ヲタトゥーのセンスが僕に与えた影響はでかくて、マイヒーローだったな。




bar 乱波洞


乱波洞のマスターはファンキーで、ちょくちょくヤマハのパッソルの前に子供を乗っけて国際通りをノーヘルで走ってた。

この日は調子が良くて、得意の倍音を聞かせてくれた。倍音ってのは、坊主がお経を読む時みたいな声のこと。

割り物とか、カクテルを頼むと、時々、混ぜる棒が見つからない時があって、そんな時は、指で回して出てきた。

最高に面白かった。






写真の真ん中のリッパは、オオシロ カズノリって名前だったが、何故だか小学校の頃からリッパってあだ名で呼ばれてた。

リッパは地元、首里出身の奴だったが、片親のおかんが再婚して家に居にくくなって、車で生活してた。

当然、沖縄の夏は長いから、毎日、車のエアコンをつけてたら、ある日、エアコンのファンが音を立ててヒシャげた。

そいで、すげー悲壮感を発しながら、素泊まり宿にやってきたトコで、僕と会った。

沖縄では、若い人はそうでもないが、年配の人間は、本州の人間に良いイメージを持ってない人が多い。

薄い顔のリッパ、「ヤー、ナイチャー(内地の人)か?何しに来たば?」 と、よくおっさんに絡まれてたな。

で、この頃、「これで、島んちゅ(沖縄島民)っぽく見えるかな?」って由布島キャップを被ってた。

絶対に逆効果だって分かってたと思うけど、そこがリッパの面白いトコだよね。


手前のユイちゃんは、時々、廃墟でヌードモデルとかやってた。

そいで僕らに、「あんたらはまだ子供だね、おっぱい の偉大さを分かってない。」 と説教された。

ユイちゃんと僕は同じ歳だったけどね。

確か、おっぱい には、金や政治や、世界を動かす力が秘められてるってな事を言ってた。

あの頃は、「はいはい、わかったわかった。」って思ってたけど、

たぶん、武田久美子が言った 「美人とブスでは、人生で得する金額に億の差がでる」 みたいな事かな?

バカとおっぱいは使い様なんだろーね。僕はお尻派だけどね。






ジョージさんは、→前にも書いた事←があるが、酒を飲むと二重人格になるから、みんなの嫌われ者だった。

僕は好きだったけどね。






ジョージさんは、当時もう32歳くらいだったけど、「うーん、働いてる場合じゃないな。」 とか言って、

しょっちゅう仕事を休んで遊んでた。僕とリッパは毎日働いてたのにな。

ある時、ジョージさんが知り合いの人らと離島にキャンプしに行って帰ってきた。

そいで、満足そうに、「海の中で、オナニーして、ウンコしてきた。気持ちよかったぞー。」と言って、

「林なら分かるだろ?ウンコすると、海水がケツに入ってヒリヒリするよな?」 なんてニコニコして続けやがった。

一緒に行った他の人に後から聞いたら、やっぱりジョージさんはキャンプで悪酔いしたらしく、

初対面の人に、危うくナタで殴り殺されそうだったと聞いた。さすがジョージ兄貴、素敵!



Double Edged Heart

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沖縄には、山に行けばニワトリ、海に行けばヤシガニ、畑にはドラゴンフルーツがあって食べ放題だったな。








Rhymester - フラッシュバック、夏。








ユカちゃんとサヤカちゃんは東京から遊びに来た友達。

ここは、1ヶ月3万円のタコ部屋 宿を抜け出して、

僕とジョージさんとリッパで1万円づつ出して借りてた2DKのアパートの真ん中の部屋。

国際通りのすぐ裏で、屋上の貯水タンクに穴が開いてるから、

常にこの部屋の真ん中から雨が降ってて、その滴は植木鉢で受けてたな。

テレビは無かったから、暇な時は雑誌の切抜きや地図を壁に貼りまくってた。

今見ると貧乏臭いけど、当時はデザイナー気取りで、

「くぅー、イカした部屋になったぜー。」 と満足してたんだ。






サヤカちゃんは、確か、なんちゃらドラゴンって名前のキャバクラで働いてた。

ある時、ヤクザの客が来て、「俺の女になれ。」 と言われたそうだ。

「なんでやねん?」 と断ったら、翌日から4人組みのチンピラが家と店の前に毎日やってきて、追い込まれた。

店の店長に言っても、友達に相談しても、みんな顔を下に向けた。

しょーがないから警察署に行ったら、その頃はまだストーカー法が出来る前で、

「何か起きてからでないと、事件として扱えませんから、」と言われて帰された。

衝撃的にムカついたので、翌日から毎日、警察署に怒鳴り込んで、泣き喚いて、

10日目頃に、やっとボンクラ警察どもが腰を上げ、解決に向かったそうだ。


ちなみに、この写真の時は、「あたしゃ出来る!」 って言うからバリカン渡したら、

刃を上下逆に当てて刈りやがって、6mmになるトコが1mmになった。

僕はそーゆー細かい事を言っちゃう男なんだな。






左側のマコっちゃんとは、那覇の月光荘って安宿で出来た初めての友達だった。

月光荘には沖縄に来てから1ヶ月目頃から3ヶ月くらい泊まってた。


当時はバックパッカーが流行りだした頃で、これから外国に旅立つ人や、

色々な国を旅して台湾から帰国した奴らがワラワラしてた。

ボケーっとしてると、真顔で 「自分探しっすか?」 とか聞かれた。

見失ったばっかりじゃボケ。


それでも、みんなキャピキャピと、観光に出かけていって、

僕が起きる お昼過ぎには殆ど人がいないんだけど、

マコっちゃんは毎日、ベンチでボーっとタバコ吸ってたんで、話すようになった。






この日は、僕の仕事が休みだったんで、雨の日に、ゴミ袋を着て、憧れのシュノーケリングに行った。

ゴーグル持ってなかったから、ボヤけて全然 海中は見えなかったけど、楽しかったのを覚えてる。

マコっちゃんは福井県出身の、僕と同じ歳で、高校中退して板前の仕事を6年半して、

自分の店を出す為に、鬼の節約かまして、なんと1000万円貯めたそうだ。


で、そろそろ物件を探すかなって頃に、通帳を開いたら残高は数千円で、6万円だけ挟まってた。

漁師をやってた雷親父の借金返済に消えたそうだ。親父に 「文句あんのか、このやろー!」 と怒られたそうだ。



マコっちゃんは1ヶ月くらいして福井に帰っていったが、その後も時々連絡を取り合ってた。

出会ってから5年くらい経った頃、子供が生まれたってんで、東京から福井までバイクで遊びに行った事があった。

その時は、日給8000円で土木作業の仕事をしながら、

「ほやなー、あれからずっとやる気でんわなー。」 と言ってたな。


それから数年後、マコっちゃんが新鮮なカニを、クール宅急便で沢山送ってくれたことがあった。

僕は、インスピレーションに従って、カレー粉と一緒にナベにぶち込んで食べたら、カレーの味しかしなかった。

あれは間違いだったよ。カニを台無しにしてゴメンね!






左から、ミヤナ、ニット、モギン、僕。

ニットは変なアクセサリーを自作してた。

この日は、左腕の手首にある、肉を加工する器具を使った新作のお披露目で、上機嫌だった。






モギンは、酔っ払うと友達の彼女とかにも手を出すようなトコがあって、

残念なヤツだったな。






ミヤナはこのビラーゴで日本を1人で3周ぐらいしてた、渡りのバイカーだった。

沖縄では、国際通りに無許可でゴザ露店を出して、手編みのヘンプ・アクセサリーを売ってた。


ミヤナは実の父親に性的虐待を受けてたそうで、

その影響か、男とセックスする時に、濡れないそーだ。

溢れる愛はあるのに、愛液は溢れないから、いつも恋愛が上手くいかないって言ってた。



恋愛感情とセックスとファックの関係には七不思議がある。

きっとロリコン糞野朗にも、ゲイやスカトロ馬鹿の様な抑圧された感情があって、

腐女子の様にモンモンと生きて死ぬ人が大半なんだろうと思う。

まともな性癖を持って生まれた僕らは、気が付きにくいだけで、

性欲は、それ自体が悪魔の怨念のようなものかもしれないね。


Phillips 58

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沖縄の夜には、野良犬や猫、ホームレス、野生児が何処からとも無くワラワラと現れた。

深夜に海辺の公園で遊んでいたら、茂みから子供が飛び出してきて、僕に飛び付いた時はビビッたな。

その子の写真はないけど、シゲトって男の子で、小学3、4年生だった。

片親で、母親はフィリピン人で夜働いてるから、1人で家にいるのが怖くて出てきたそうだ。

別れ際に、可哀想だったから、電話番号渡して、近所だし、いつでも遊びに来いよって言ったら、

しょっちゅう、夜に遊びに来るようになった。

そんで、毎日、シゲトの母ちゃんから電話もあった。


シゲトのおかん 「シゲトいるか?お前、いつも、ありがとな!」


あのキメ文句は最高だったな。







R. Kelly - Ignition







写真の一番上の青年は、フジタヨシオ A.K.A. ヨッシー

ヨッシーは、この頃20歳で、大阪から遥々、一年間やり取りしたメル友に会いに沖縄にやって来てた。

大阪から会いに来るって事は、そーとーいい女なのか?って聞いたら、写真も見た事ないと言う。

沖縄に来たはいいが、メル友の女は一向に会う気を見せない。

そんな悶々した日々が1月くらいあって、いよいよ待ちに待った、決戦の金曜日が来た。


その日の夜、僕らのトコに遊びに来たヨッシーの表情はドッキリに引っかかった芸人みたいだったな。

「どーだった?」って聞いたら、

「はぁ、チビで、デブで、めっちゃブサイクでした。はぁ~。どうしよー?」

「くわっかっか、そーか、そーか、そりゃ残念だったな、また来世で頑張・・」

「でも、中出しして来ました。」

「なんでーやねーーーーん!!?」

これだから大阪人は面白いよね。





手前がパッチ、真ん中がヨッシー、その奥に寝てるのがメル友

この写真の時、ヨッシーは海で はしゃぎすぎて鼻血が出たんだ。


ヨッシーは、出会った頃は、尾崎豊が好きで、タイトなジーンズに無地のTシャツを着て、

なんだか、やたらと影をアピールしてきて、暗い感じだったんだけど、

ある時、僕が家でかけてたRケリーのスローなR&Bに食いついて、

その4日後には、髪をマルコメにして、Bボーイになってた。

それから、ケリー・ローランド、当時流行っていたネリーと聴き進み、

とうとうB系専門の洋服屋で働いた程だった。

夏休みが明けたら不良みたいな、人が変わる瞬間を見れた貴重な体験で、面白かったな。






一番左にいるのがヨッシー。その隣がメル友のコナツちゃん。

2人はこの後、子供が出来て、めでたく結婚した。

ヨッシーは友達の中で、一番何を考えてるのか分からない奴だった。

でも、結婚しちゃうんだもんな、本当に大阪人は面白いよね。






マコトはリッパの同級生で、ピースサインの通り、すげーいい奴だった。

それで、好きなモノやコトが多すぎて、それらに見放されてしまいそうな感じが、

他人に思えない奴だったな。今でも時々、「心配してます!」って連絡が来る。






この女の子は名前なんだったけな?

リッパがずっと好きだった子なんだけど、

右側のジェイソンに獲られそうだね。







左からタクト、ローレン、アマンダ、僕、

タクトは小説家を目指す文学青年だったけど、

毎日ドラッグをツマミに酒飲んで、高田渡とか、友部正人とか、

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとか、ボブディランとか、

カスれた様な音楽聴いてる変態で、両親は2人とも学校の教師だった。

ドラッグのやり過ぎで、精神疾患になって、障害者手帖みたいなのをもらってた。

「でも、医療費が安くなったよ」って喜んでたな。バカだったな。

両親が先生の子供は、糞真面目か、すっ飛んでる人かのどっちかしか会った事がない。

だから僕は、教師ってのは何かがズレてる特殊な人種なんじゃないかって思ってる。






ここは、4軒目の我が家で、宜野湾市にあるパレス比嘉ってアパート。

この日は台風で、5階の部屋から階段下りて、車でスーパーに行って、

帰って来ただけでなのに、こんなにビタビタだった。

風が凄いから、階段はカエルみたいに這って上り降りした。本当に、






アパートの近くには、新町社交街って名の赤線エリアがあった。

今はもうない。

赤線ってのは、ちょんの間ってゆーか、売春街なんだけど、

それが住宅街の中に商店街みたいな感じで存在していて、

すぐ横に小学校があった。風営法もなんのそのだ。


僕はアパートに、転売する為の車を停めてたんだけど、

ある時、車の上に小学生が6人くらい腰掛けて遊んでた。

僕の商品が、こりゃ大変だと思って、

スパンスパンと子供らの頭をシバくと、「くるすど!」と凄まれ、

あわや、小学生たちに袋叩きにされそうだった。

まるでブラジルの子供達みたいで、

ちょっと、本当に怖かったな。

でも、あの環境じゃ、当然だよね。

沖縄には、ヤクザと右翼と、創価学会がとても多かった気がする。






写真の女の子はリカちゃん。リカちゃんとは、クラブで友達になった。

18歳だって言ってたけど、今見ると16、7に見えるね。


リカちゃんは、彼氏の実家の会社が倒産して、その家の借金を返済する為に、

彼氏に、馬車馬の様に働かされてた。彼氏は体調を壊していて無職らしかった。

「最近、ソープランドは給料がいいらしー、どうだ?って言われるんですぅーくぅー」

と言っては泣くもんで、リッパが我慢出来ずに、

「お前、それ、騙されてるよ。」

と言って、リカちゃんは発狂してたな。


僕が軽い気持ちで、 「嫌なら逃げればいいじゃんない?走ってさ、」 と言ったら、

そーする事になった。どうせならアメリカに行きたいって言うから、






丁度、カリフォルニアに帰るコーリーを紹介した。

コーリーには、僕と同じ歳の娘がいるらしくて、完全に僕は子供扱いされてた。

この写真は風邪で調子が悪いって言ったら、頭をグリグリされて、

「痛ぇー、痛ぇー、」言ってたら、ぐへぐへ言って満足そうに笑ってたな。


悲劇のヒロイン・リカちゃんの話をコーリーは快諾し、一件落着した翌日、

「あ、でも、あたし、パスポート無いです、パスポート。」

となって、行き先はぐっと身近な大阪になった。

逃げる日、みんなで空港まで見送りに行った。

そしたら、リカちゃんが、僕のお気に入りのバーバリーのバッタみたいなニットを

「餞別に!お願いします、餞別に!」

「えー、嫌だよ、お気に入りなのに、えー、」

ってやり取りをしてから取られた。

あぁ、何故、僕の1度も洗ってないニットよ。



その後、リカちゃんはどうしたかな?

あのニットも虫が死ぬほど臭かったはずだから、

飛行機の中で死んだかもしれないな。



Stomach Shock Beast

Giraffe

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キリン 7巻

東本昌平












でたよ


The Meeting Place will be Staten Island

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アンドリュー・カミンズ・Jr こと、ドゥルーピーと僕


年が近かった事とか、僕の「FUCK!」の発音が良かったせいか、アメリカ人の友達も出来た。

よくよく思い出すと、沖縄ライフの中では、ドゥルーとが一番長い付き合いの友達だった。








Walls of Jericho - Jaded








ドゥルーピーはNYっ子ぶってたが、シカゴ出身の田舎モンで、エミネムが大好きだった。

写真のこの部屋は、前のアパートを何故か追い出され、更なる自由を求めて離島に旅立ったジョージさんと別れ、

リッパと2人で住んでた那覇の裏松山地区の2軒目の我が家。


ドゥルーはこんなかわいい笑顔してるが、とんでもねー。

色んな奴をこの部屋に連れてきては酒を飲ませて泥酔させ、

寝込んだら財布から金を取る、歌舞伎町スタイルの悪い奴だったな。




左から、スパースター、ロレーン、ドゥルー、僕、リッパ、ダンテ


みんな普天間の米軍基地で働いてるマリーンズの奴らだった。

マリーンズとか、海兵隊とか言うと聞こえはいいが、

実際は、田舎で職探しに困ってる、学の無い貧乏人か、

軽犯罪でパクられて、服役するか?徴兵か?って選択でなる奴が殆どだって聞いた。






つまり、マリーンズはバカかクズばっかりなので、必然的にアメリカ人お断りの居酒屋とか、クラブとかは多い。

ところが裏技があって、アメリカンNGの店でも、日本人が同伴なら入れる事がある。

ドゥルーピーは、ずる賢い奴だったから、自分の遊び場を増やすって意図で、少し言葉が通じる僕に話しかけてきたんだと思う。

でも、人間関係の始まりは、多かれ少なかれそんなもんだよね。




こいつの名前は忘れたけど、ドラゴンボールがめっちゃ好きだって言ってた。
鳥山アキラは偉大だな。因みに僕はアラレちゃんの方が好きだけどね。
しかし、僕もこいつもすげーバカそうだな。


それで、僕はその頃、ネットでまだ規制前だった鑑賞用のマジック・マッシュルームを

グラム:450円で仕入れて、2500円で売るって商売をドゥルーをパートナーにして始めた。


ある時、常連の客が、

「実は俺たちMP (ミリタリーポリス) なんだ。」

って言った時は、おしっこ漏れそーだったな。






沖縄のコンビニとかスーパーでは米ドルが普通に使えた。だが、大半の店は¥オンリーだった。

マリーンズの給料日は月に2回、ドルで支給される。

北谷のショッピングモールにあった両替機はいつも人が並んでいた。


調子に乗った僕は、当時、1ドル:120円だったとこを、1ドル:100円で両替商法を始めた。

大体、50ドル単位で両替して、これが中々に、銀行が閉まる夜には結構繁盛したんだな。


当時は金持ち気分だったけど、財布に入ってんのが全財産だったから、大した事は無かったね。

因みに仕事は17時から2時まで働いて、日当5~6千円の、最低賃金だったな。




ドゥルーとアイダ


アイダは雰囲気がワハハ本舗の柴田リエに似てたから、僕とリッパで、「シバタ」 ってあだ名で呼んでた。

本人も気に入って、「シバター! 私、シバタ!」 って言ってたな。






ドゥルーピーはカロリーナを口説くためにオカリナを練習してた。




カロリーナとドゥルー


まー、誰が聴いても下手だったけど、熱意が伝わったみたいだった。

ホントに、ふぴーひょろろー、みたいな感じで、下手だったんだけどなー、

女心って本当に、まったく分からないものですね。






りっぱも、「アレなら俺でもできるわー」

と言ってオカリナを吹きまくってたけど、誰にも熱意は伝わってなかったな。






この我が家2号店は、1DKで、前の我が家より狭かったが、千客万来だった。

オナニーなんか、絶対にできなかった。

更に、同居人に彼女が出来たんで、追い出されて家無き子になったヨッシーが、

僕のトコに来て、「はー、どーしよ、はぁー、どーしよ、」

って言うから、ついつい、「うるせーなー、いーから来いよ」 とか言ってまた1人増えた。


隣の部屋には老人夫婦が住んでいた。さぞかし迷惑だった事だろうな。

でーじ、わっさいびーん。






あんな汚ねー、ムードも糞もねー部屋で、よく盛り上がると思うんだけど、

時々、仕事から帰ってくると、ドゥルーがどこぞのビッチを我が家に連れ込んで寝てたりした。

それが決まってリッパの布団なんだよね。

リッパは、「くっそー、また俺の布団でよーこいつー」

「まだ、俺、この布団でやったことないのにー」






「あ、びーちく見えてる」

「ちくしょー、混ぜろやし」

とか、言いながら、ベタベタした台所の床で眠りにつくのであった。






この時は、リッパが沈没したドゥルーピーに、日頃の恨みを込めて枝豆地獄をお見舞いした。

しょーもないね。



Emergency Roll

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パトリックはイタリア系アメリカ人のケミカル・ボーイで、パッチってあだ名で呼ばれてた。

パッチはドゥルーに連れられて、僕らと遊ぶようになったが、

最初の頃、日本人が、と言うよりも、アジア人が嫌いだったんだと思う。

ものスゲー心の壁があって、まともに目も合わしてこなかった。



ところがある時、僕がスーパーで買ってきたスシを食っていると、

パッチが、「あれ?それって、スーシー?」 と言わんばかりの顔で興味を示したのである。

僕が、「お前、スシ・バージンか? 食ってみーや、」 と勧めると、パッチは遠慮なく3つも食って、

「ナンバーワン!」 と言って初めて笑顔を見せた。ナンバーワンはパッチの口癖だった。

その後、ナンバーワンは、日本語でイチバンだぜ、って教えたら、「イチョバン!」と言うようになった。








Limp Bizkit - Rollin'



パッチはカラオケも大好きだったんだけど、半端ない音痴だった。

リンプのローリングをよく選曲してたんだけど、勿論マイクを持ったら立ち上がり、

ローレ、ローレ、ローレ、ローレ、ロー、キープ!

ローレ、ローレ、ローレ、ローレ、ロー、キープ!

って腰の後ろに手を当てて、ノリノリで歌うんだけど、、あまりの下手さにみんな大爆笑だった。

今でも僕は、この曲を聴くとパッチを思い出して可笑しくなる。






パッチとリッパ


あの日は、僕は仕事が休みで、珍しく我が家には誰も居なかったから、

一人っ子育ちの僕は、エッチなDVDを観ながら1人の時間を満喫していたんだ。

そしたら、誰かが走ってくる足音がして、ドアをガンガン叩きやがった。

僕はウンザリしながら鍵を開けると、

パッチがバカボンに出て来る本官さんみたいにドタバタと部屋に入ってきた。




ラウラと、パッチと、ロリーナ


部屋に入って来たパッチはキョロキョロしながら、息を少し整えて言葉を発した。


パッチ 「ヤバイ、ヤバイよ、どーしよー!?ワカサ・パークの辺りをプラプラ歩いてたんだ」

僕 「それで、」

パッチ 「そしたら、日本の警察官に呼び止められた」

僕 「ほー、それから?」

パッチ 「おれは、おもクソ ぶん殴って走って逃げてきた」

僕 「パッチ、今すぐ我が家から帰れよ、」

パッチ 「ヤバイよ、ヤバイよ、」


僕 「何で殴ったの?」

パッチ 「わかんない?」

僕 「何か変なもん持ってた?」

パッチ 「スシを持ってたけど、投げ捨てたよ」

僕 「・・その必要なかったと思うな」

パッチ 「俺もそう思うよ」

僕 「OK,今すぐ我が家から出てけよ」

パッチ 「ヤバイよ、ヤバイよ、」


面白い奴だったな。そしてとても迷惑な奴だったな。




ダイチ、ナッツ、パッチ、僕、ジェフ


琉球彫よしさんの、ザ・無料タトゥー・イベントって分かりやすい名前の催し物に行ったんだ。

沖縄市の空港通りにある 彫よしさんの店にも遊びに行ったけど、面白い人だったな。






ダイチは沖縄人で、東京で詐欺の仕事の出稼ぎに行って帰ってきたばかりだった。

総合格闘技の大会で8位になったって微妙な肩書きもあった。

沖縄の男は情熱的で、夜に目が合うと高確率でケンカになった。

まー、弱そーな奴でも全力で絡んでくるから、もー僕は涙目になっちゃうんだけど、

ダイチの返り討ち率は100%で、大抵が蹴り一発だった。


でも、入れたての肩のワンポイントタトゥーが嬉しくて、しょっちゅう袖を捲ってる様な、

天然ボケで、愛嬌があって、心優しくて、かわいい奴だったな。

そいで、キャバクラの年上のお姉さんに叶わぬ恋をして、

「林さん、今日、俺、バラの花束持って、店の前で待ち伏せしてよーかと思うんです。」

とか言うから、「ダイチ君。そりゃ君、キモいぜ。」って教えてあげたんだ。






手前に座ってるマルコメ頭のジェフリー・ブラマーは、

友達の中でケンカ最強だったが、メンタルは最弱だった。

ジェフが時々、じゃれ付いてきたりするんだけど、一々痛いので、

「おい、痛いんだよ、ボケ!」と怒った顔をすると、

「ウップス、ソーリー、ゴメンネ、ゴメンナサイ、」

と、半日に亘って耳元へ謝罪に来た。



この後、写真の隣に座っているレイナと破局して、傷心し、

僕らの前に姿を見せなくなった3ヵ月後、

ドラゴンのタトゥーの入った手に数珠を巻いて現れ、

「ブッダ、イチバーン」

とか言って、創価学会に入会して現れた時は本当にウケた。






写真の真ん中の2人が、ヤスとタカだったかな?

この2人とも、松山のクガニ屋って居酒屋で友達になった。

クガニ屋は今はもう無いみたいだ。



狭い沖縄のなかでも、地域ごとの特色なんかがあるらしくて、

南部の奴らはヤバいと時々耳にした。

タカとヤスは南部の糸満の奴らで、初めて会った時、

「実は俺たち、傷害事件が何件かで指名手配中なんですよ、うへへ」

とか言ってた。「ホントか?」 なんて思ってたら、

その3時間後にはクガニ屋の店内で大乱闘が始まった。






事の発端は、ウソの様な本当の話なんだけど、

写真の真ん中に写っている、タカとヤスの子分その①みたいな奴で、

ジゲルって名前だったと思う。


シゲルが、何かを注意してきた店員に絡みだしたのである。

当然、冷静な僕らは、「まぁまぁ、」とか言いながら、様子を見ていた。

シゲルはバカだから、ボキャブラリーが少なくて、すぐに言葉に詰まり、

悔しそうに「おらぁ!」とか言いながら手が出た。

見るからにスローで大振りなパンチを、店員はサッと後ろに避けた。

シゲルのこぶしは勢いを増して、向かい側に座っていたヤスの頬に

ベチンと音を立てて当たった。本当に。本当に。




この真ん中がヤス


僕は、「うそーん」と、口に出し、ヤスはニヤリと笑った。

少し間を置いて、ヤスは立ち上がり、「避けんなコラ!」 と言って店員を殴り、

振り返って、シゲルを殴った。

殴られたシゲルは、「す、すんません!すんませんでした!すんません!」と3回叫んで、

出口に向かって走り、そのまま全速力で逃げていった。

コントみたいだった。


それで、怒りの矛先を無くしたヤスが無差別に暴れだし、大盛り上がりの乱闘になった。

ここまでは、ファンキーな友達を持つ人ならば、時々ある話だと思う。

こいつらのヤバい所は、乱闘のピークあたりで、ヤスが空き瓶で友達のタカの頭を殴ってるとこである。

そして、殴られたタカが、フラ付きながら振り向いて、ヤスの顔をみて、ニヤリとした辺りである。






その後、ヤスが店の外に出て、プロパンガスの小さいボンベをぶん投げて、

ボンベがガャシャンガャシャン、火花を散らしながら、転がってるのを見ながら、

僕は、「ダメだ、ついてけねー」 と思って戦線離脱した。


それから少しして、地回りの893が来て、やっと騒ぎは収まった。






僕らは何故だか彼らに好かれたらしくて、2人も何度か我が家に遊びに来ていた。

この日は、ドゥルーが、男同士、裸になって語り合おうなんつって

全員の服を脱がしたんだけど、みんな妙な感じになって、あんましゃべんねーの。


きっとあの2人に堅気の人生は無理だろうな、せめて刑務所の中で無い事を祈っているよ。


それにしても、この写真のドゥルーピーのドヤ顔、なんかムカつくよね。

この人だけ、やたら満足そーだったもんな。



Triple Axel

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W10 at 吉祥寺








debarge - i like it

















* * * * * * *







for Krafty happy 15th Anniv




Alternate Hope and Fear

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オーカさんはすぐ怒る人だったな。

ステージの段取りの事で時々、めちゃくちゃ怒られるんだけど、

毎回、何について怒ってるのか分かんなかったな。

きっとカルシウムが足りてなかったんだろーけど、

ある時、「あのー、何をそんなに怒ってんすか?」 って聞いたら、

「指飛ばすぞ、このやろー」 って、また怒られた。








The Beautiful Girls - Music







那覇ミュージックは、国際通りと58号線の間の、久茂地ってトコにあった。

ここで僕は、タバコを吸ったり、舞台に照明を当てたり、

音楽をかけたり、あくびをしたり、

お茶を飲んだり、掃除してる振りをしたり、

タバコを吸ったり、考え事をしたり、ぼーっとしたりして、お金を貰った。




入場料は3500円か30ドル、確か19時前なら2000円か20ドルで入れた。

18歳未満は入れないって事になってんだけど、

中国人や台湾人のガイドが観光客を連れてくるもんで、

よく、子供から老人までで構成された家族連れが来てたな。




週末は、客の9割がアメリカ人だった。

ドゥルーピーもよく遊びに来た。

ここで、色んなアメリカのストリート・タトゥーを見た。

あれらを全て写真に撮っておけばよかったと後悔してる。




アメリカ人にとってタトゥーは、多分、文化的な馴染みのある風習みたいなモンに思えた。

旅行先でキーホルダーを買う様に、

失恋したら、漢字で 「心痛い」 と彫ってたし、

誰も、「タトゥーは一生モノ、よく考えて入れよう!」 なんて事を言う人はいなかった。




僕のファースト・タトゥーは宜野湾の梵天タトゥースタジオで彫ってもらった。

ここも、客はアメリカ人ばかりで、中では日本語が伝わらないと思ってか、

若い彫師たちが、 「またドラゴンかよー、本当、ドラゴンと鯉のうろこ、めんどくせー!」

と、大声で会話してて、面白かった。




初代梵天さんとチャーリー・シーン




これで8万円なのか!?



ちなみに僕は左の肩に 「畢竟寂滅」 って漢字を入れてもらった。

意味は、仏教用語で、「大いなる悟り」 とか、 「完璧な安らぎ」 

賢い人はすぐに、「それって死んでんじゃん!?」 って言って笑う。そんな意味なのよ。

漢字は今は亡き、梵天太郎さんが筆で書いてくれた。確か1万円だった。





そんな大層な文字を入れた数日後に、SMショーのおばちゃんにブタ扱いされてた。

客の少ない日には、盛り上げる為に、僕らが時々ステージでおばちゃんにシバかれた。

ムチとか、ロウソクとか、全然笑えない痛さで、嫌だったなー。


本来は、週末に、アメリカ人の客なんかがステージに上げられて、

豪快にシバかれた客が、飛び跳ねて痛がると、バカウケするショーなんだけど、

客が少ないもんだから、大してウケないし、

なんだか、僕がスベったみたいな感じになるんだよなー。




この左側がSMのピアさん、ピアさんは確か50代で、ニートの息子がいて、

普段は保険屋のおばちゃんをやってた。時々、電話がかかってきて、

「林くん、いつもごめんね、・・友達とかで、保険入る人いない?」

って、申し訳ない風に言ってた。あの口調にはサディスティックのかけらもなかったな。




一番左側のピースしてるのがカレン。カレンも40代後半のベテランで、

「あたし、日本語ペロペロ!」 ってのが持ちネタだった。

ダンサーの殆どがコロンビア人だった。


僕も、日本にいるフィリピン人やロシア人の女は、ビッチで、

好き好んで日本に稼ぎに来るんだと思ってたんだけど、

実際は、「日本って豊かな国の工場で少し働けば、一生分の金が稼げるよ」

って甘い言葉に騙されて、マフィアやブローカーのルートで人身売買されてくる。




コロンビアのスポーツ新聞の一面には毎日、惨殺死体の写真が載るらしい。

コロンビアはコカインの原産国で第一位で、必然的に国内では麻薬カルテル同士の抗争が絶えず、

男の多くが20歳までに死ぬので、人口の内、女の比率がだいぶ多いそうだ。

だから、女の価値は低く、仕事もあまり無いんだってカレンが話してくれた。


カレンはこの頃、乳癌にかかって、今度、東京で手術をするんだって言ってた。

それっきり、会っていない。大丈夫だったなか?




立って歌ってるのは、埼玉出身のココちゃん。

眉毛に弧がなくて、直線だった。

ココちゃんは双子の姉ちゃんがいて、2人で一緒にAVに出て、白人と4Pしてた。

それで、って訳じゃないと思うけど、白人が好きで、

六本木や、横浜や、アメリカや、イギリスやに行っては恋をする、

恋多き娘で、僕の英語の先生でもあった。 それで、たまに電話があって、

「新しい彼氏に、こんな事を言われたんだ」 とか、「なんか、今度のはチャラい男なんだけど、どー思う?」 とか、

恋する度に、一々、純粋に一喜一憂する面白い人だったな。


きっと、今もどこかで新しい恋をしてるんだろーね。




コーリーは前途したベテランのアメリカ人で、

「ヘイ、ボーイズ! ステージの盆の上にダニがいて、ケツをかまれた!」

「ちゃんと、殺虫しとけや!」

って、噛まれたケツを見せながら、2、3度怒られたな。




オリオンビールは5ドルだったけど、何故かペプシは1ドルで良心的価格だった。




左側の奥にかかってるTシャツはオリジナル品で

ダンサーが踊ってる写真をプリントして売ってたんだけど、

1枚も売れたの見たこと無かったよ。

そりゃそーだよね、誰も何処でも着れねーよ。



Give Me Brown

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Nik West - Back In Black (AC/DC)









Mr.Krafty



















最近、飲食店やコンビニやラジオやで、家入レオのチョコレートって歌を耳にする。

ムカつく曲です。季節ガラ、散々に流れるので大変です。


そう言えば10数年前、巷ではカラオケがブームであった。

当然、猫も杓子も僕達もカラオケだった。

ところが僕は、ミスチルとスピッツとグレイとモーニング娘と小室ファミリーが嫌いだったから、

カラオケに誘われるのが苦痛でしょうがなかった。


どんぐらい苦痛かって言うと、歌わず、踊らず、冷たいジュースを飲みまくり、

遂にはお腹がユルくなり、こっそり屁をこいたらウンコが漏れたくらいだ。

そう、まるで生チョコレートの様なウンコがね。




A.V.C.C 2013







L.O.C. 2013



54ism














Talk Hard So Be It

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すっかり明けましたね、おめでとうございます。

新春と言えば、特別ですから、90年代映画祭です。



「パンプ アップ ザ ボリューム」 1991年 監督:アラン・モイル

まずは、洋服屋さんへお勧めのこちら、主演はクリスチャン・スレーターなんだけど、非常にダサいです。

退屈な日々を送る田舎の高校生が、夜中に海賊電波でラジオ放送をする話なんだけど、
「オタクな人が描く不良」 の感じを楽しめれば、大丈夫だと思います。

邦題も 「今夜はトーク・ハード」 ほら、いいでしょ?





「トゥルー ロマンス」 1993年 監督:トニー・スコット

同じく、クリスチャン・スレーターが主演で、

赤いジャケットに、ミリタリーコート、
90年代の派手なファッションが楽しめますね。

ヒロイン役のパトリシア・アークエットもピチピチでかわいいです。





「ナチュラル ボーン キラーズ」 1994年 監督:オリバー・ストーン

出ましたね、スキンヘッドに丸サングラス。

この映画は、高校生の頃、昼間の人の少ない映画館で観たんだけど、

あまりに刺激的で股間がジュンジュンしたな。

劇中のジュリエット・ルイスがオープンカーを運転しながら、

タバコを吸うシーンがある。マリファナを吸うみたいに思いっきり吸って、

3回に分けて煙を吐くのがスゲーかっこよくて、

「ソフトケースの赤いマルボロ買って、ぜってー真似しよー。」 と思っていたら、

端っこの席で、1人で来ていた近所の女子高の制服の女が、上映中の館内で 「シュボ」 っとタバコに火を付けた。

僕はそれを見て、言い様の無い敗北感を感じたんだな。


因みに、「ナチュラルボーンキラーズ」の日本語 吹き替え版はヤバい。

「あたいはね、てやんでー、ばっきゃろー」

みたいな感じで、声優の雨蘭咲木子と言う人が、

間抜けな声で見事なほどに映画を台無しにするよ。

でも、心の準備をしてから観ると面白いよ。





「パルプ フィクション」 1994年 監督:クエンティン・タランティーノ

この映画は、これぞアメリカって感じがして素晴らしいですね。

時間軸を順不同にしたり、独特な宗教観を出したりと、
撮影や編集の技術だけでなく、ストーリーも完成された作品で完璧です。

この左側の、ジョン・トラボルタの着てるサンタクルーズ大学のTシャツを、

友達からアメリカ土産で貰った事があるんだけど、マニアック過ぎて1度も外で着る機会が無かったな。





「フロム ダスク ティル ドーン」 1996年 監督:ロバート・ロドリゲス

脚本はタランティーノ、前半はバイオレンスで、後半はホラーと、前後が突然、ガラリと変わる演出がハイセンスです。

ジョージ・クルーニーに引けを取らず、タランティーノが役者として上手なトコにも驚きです。

監督、脚本、主演、製作、の全てを自分で出来る人なんて、ジャッキー・チェンくらいですからね。

荒野の、トラック野朗が集まる酒場の店名 「ティティ ツイスター」 が

「おっぱいクルクル」 と翻訳されていたのが印象的です。

しかし、

「アタシの心臓はアタシが守る!」 「返り討ちにしてやるぜ!」

のキャッチコピーで全て台無しです。





「ターミネーター2」 1991年 監督:ジェームス・キャメロン

80~90年代は、何故だかアーノルド・シュワルズネッガーが人気でしたね。
不思議ですね。しかし、ターミネーター役はハマっていました。

シュワちゃんが乗ってもハーレーはハーレーに見えるトコが、ハーレーの凄いトコですね。

横にいる、ウルフカットのお友達もコテコテな感じで良かったです。

主題歌をやっていたガンズ&ローゼズも、絶頂期でしたね。
この頃は7、8人いたメンバーも、今ではアクセル・ローズ1人きりだよ。

そー。当時、中学生の僕は、エドワード・ファーロングにシビれた訳です。

劇中、エドワードが、迫り来るシュワルズネッガーから逃げる為、

ゲームセンターから飛び出し、125ccのオフロードバイクに跨り、

キックを数回しますが、エンジンがかかりません。エドはたまらずシャウトします。

「カマンっ!カマンっ!」

これ、これ、

僕は、バイクをキックスタートさせる時、心の中でいつも真似してるんでおます。

「カマンっ!カマンっ!」

今でもね。




そのうち

つづく








Let's Get Eat

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フリーウェイ友の会 (F.W.F.C.) サマーミーティング







Led Zeppelin - The Song Remains The Same






















Let's try 幸楽!







happy birthday for stone-1















ある日、一緒に働いていたAさんは、

ホラー映画の様な悲壮な表情で語り始めた。


A 「なんだか、最近、気が付いたんだけど、俺の体重がドンドン増えているんだよね、」

僕 「ドンドンですか?」

A 「そーなんだよ、ドンドン。もともと70kgくらいのモンだったのに、」

僕 「・・も、モンだったのに?」

A 「ドンドン増えて、80kg、90kg、それが止まらない・・」

僕 「そ、そんな事って・・」

A 「まるで風船が膨らむ様に、どんどんどんどん、」

僕 「ふ、風船が言い得て妙ですね。」

A 「最近は毎日1kgづつ増えて、現在97kg。後3日で・・」

僕 「あ、あと3日で大台ですね。」

A 「もー恐ろしくて恐ろしくて、病気なんじゃないかな?

このまま、破裂して死ぬんじゃないかな?

あぁ、どうしたらいいんだろー?」



僕 「・・・いや、病気じゃないですよ。」



A 「・・え?」



僕 「食い過ぎですよ。今日の昼もご飯大盛りにしてたじゃないですか?

昨日も二郎ラーメン行って脂マシてたし、

10時にはコンビニでアメリカンドック食って、

3時には黒豆のタイヤキ食って、

全然腹へってないのに今も、

「ジャイアントコーンはやっぱり美味ぇーなー」

なんつってアイスを詰め込み食いして、そんで、

これから帰って晩酌しながら夕飯も山盛り食うでしょ?」



A 「・・あぁ、気が付かなかった。」












フジTV








Holy Water Enthusiast

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パンチョッパーとサイドバルブ








Urtikaria Anal - Gorelandia










クラフテー × オッチーRC 夏合宿



朝のジョジョ立ち体操 第1♪



ちょうちんアンコー ベスパ











山で転んで鎖骨がナパームデスしたそーですが、

その後、大丈夫でちゅか?






あれは仕事で郊外の住宅地を訪れた時の事であった。

そこは、建売住宅のようで、同じ様な家や植木やポストが規則的に並んでいた。


すると突然、助手席にいたAさんが、「うっわー。」 と小さな声で言った。

僕がAさんに目をやると、Aは両肩を落とし、

突然、悪霊に捕り憑かれたようにグッタリとしていた。


僕 「ど、どげんしたとですか?」

A 「・・・いやー、何でもないよ。」

僕 「み、みずくさかー!」

A 「・・うーん、この、住宅街さー、離婚した嫁さんの実家にそっくりでさー、」

僕 「へ、へーだからどーしたってんですか?」

A 「俺さ、嫁の親父さんから嫌われてたから、嫌な事思い出しちゃって、

心の傷が、こー、ギチギチっと疼いたー。」



そー言ってから、体重が100kgを超えたAさんはギュッと口を閉じ、ボーっとして働かなくなった。

昼飯はいつもの様に大盛りを食ったけど、食事中は無言であった。それが3日続いた。



それを見兼ねた、同郷の同級生のSさんが声をかけた。

S 「どーしたの?元気だせって。」

A 「んだ。元気だって。」

S 「元気じゃないって、ほら、何かオレに出来る事があったら言えよな?」

A 「んー・・じゃー、お前の妹を紹介してくれ。」

S 「え?なんで?」

A 「顔がタイプなんだよ、マジで。今、彼氏いないんでしょ?」

S 「あ?・・ふざっけんなよ、ダメに決まってんだろ!マジで、」

A 「・え?なんで?」



それはね、Aさんが聖水マニアで、

おしっこ飲まないと満足しない人だからだよ。



もちろん、顔面騎乗でね。


























From the North Country

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Natural Steel Works at 前橋







Dave Matthews Band - What Would You Say





































みなさん、芸能人は好きですか?

芸能人のゴシップが大きなマーケットになっているのって不思議ですよね。

随分前の事だけど、加藤あいの温泉入浴写真には、億の金が動き、人が数人死んだと噂があった。

みなさんは、芸能人とお付き合いしたいなー。なんて思った事はありますか?

何はともあれ、白い歯が命です。



Aさんが高校を卒業した頃は、まだ体重が70kg程であった。

ひょんな事からAさんは、生まれ育った山形県の山奥にある旅館に就職した。

そこは本当に山奥で、1月、2月の頃になると、雪崩で峠道が埋まり、陸の孤島になる程であった。

孤島の生活は暇だったので、Aさんは恋をした。

相手は、清楚で奥ゆかしいタイプの女の子で、

自分が田中邦衛の兄弟の娘である事を、恥ずかしそうに明かした。


それから恋に落ちた2人は、夜な夜な別館の廊下で逢引し、

照れ合いながら目を閉じ、チュッチュ、チュッチュした。

来る日も、来る日も、夜な夜な、夜な夜な、レロレロ、チュッチュ。



そしてある夜、Aさんは、まるで爺と婆が、恩返し中のツルの部屋を覗きたい衝動に囚われる様に、

肌寒い廊下で、彼女の温かい肩に触れながら、恐る恐る目を開けた。

月明かりと、雪の反射に照らされた彼女の、

うっすらとある額の皺は、少し太い眉毛は、垂れた目は、厚く 少し茶色い唇は、

微かに震え、しかし確かに、「ホ、ホタルォ~。」 と言ったそうだ。



そろそろ、東京にも雪が降りそうですね。


「こー、子供がまだ、食べてるっしょ!」
























フリーウェイが欲しくなってきたでしょ?






Assessment of the Peach

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mouse on the keys - 最後の晩餐


























例えば、殺し屋が、人の気配や殺気に敏感な様に、

例えば、料理人が、目視で素材の重さが分かる様な、

例えば、柔道家の耳が、餃子の様になる様な、

それは、そんな事であったのかもしれない。



Aさんと僕は、リサイクル屋で働いていたので、

依頼のあった家を訪ねて、不用品を査定し、買い取るような事を毎日していた。

Aさんは時々、若い女の部屋で、ベッドを査定しながら耳まで赤くしてモジモジする事があった。

僕は、「しょーがないね~♪」 と思いながら、「タイプでしたっか?」 と聞いたりすると、


Aさんは、照れたようなハニカミ顔で話し始めた。

「女には2種類の女がいる。 男の臭いがプンプンする女と、そーでない女だ。」


そー、Aさんの理論では、女は男と接する事で、フェロモンだかホルモンだかを分泌するので、

その2種類の女の間には、「匂い」の違いが確かにあると言い張るのである。

もっともらしい話である。

そしてAさんは、男の臭いのしない女の部屋に入ると、もー恥ずかしくて恥ずかしくて、

ついでにそんな無農薬の畑に足を踏み入れてしまって申し訳なくて、耳まで赤くなってしまうのだ。

困ったモンである。



しかーし、僕もその能力が欲しくなった。

だから渋々、Aさんに頭を下げて、弟子入りする事にした。

それから修行の日々が始まった。



僕 「オッス、師匠、今のは無臭ですね!?」

A師匠 「いや、今のはプンプンだ。」



僕 「次こそは、臭わなかったですね!?」

A師匠 「いや、あれはただのブスだ。」



僕 「今度こそは、シロでしたよね?」

A師匠 「いや、あれは男と別れて田舎に帰るんだな。残り香があった。」



A師匠 「さっき娘は、無臭だったよ。」

僕 「うそーん!?めちゃめちゃ垢抜けてましたよ!」

A師匠 「んだ。でも、3年近くはご無沙汰だよ、あれは。

いいか、目で見ようとせず、股間で感じろ!」

僕 「ぐぬぬぬぅ、うるせースカトロ野朗。」



僕は、志なかばで挫折した。

場末のピンサロ嬢にしか欲情しない人もいれば、

無臭の女にしか魅力を感じない人もいる。

フェチズムとは、面白いものですね。



まぁ、全てはAさんの憶測であり、妄想なんだけどね。












フリーウェイのジェネレーターを交換したよ。







ホンダ ウルトラ S9!







From Baltimore

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90年代映画祭のつづきだよ。


「クラッシュ」 1996年 監督:デヴィッド・クローネンバーグ

本当は同監督の1991年の「裸のランチ」をお勧めしたいんだけど、あれはビートニク作家のウィリアム・バロウズの物語で50~60年代の話だから、またの機会にするね。




デヴィッド・クローネンバーグは、僕の尊敬する映画監督の1人で、「クラッシュ」は、車事故に性的興奮する変わった人達の話。



映画の題材として性癖モノは結構あるんだけど、僕は 「ネクロマンティック」 って死体愛好家の話を
17歳くらいの頃、夜中に1人で観てしまったので、以来、何を観ても不感症みたいなとこがあるんだけどね。

しかし、90年代は映倫だかの基準が変わったタイミングで、やたらと「ヘアー解禁」ってコピーがあったな。
それまでは陰毛までモザイクがかかってたのが、毛はOKになったって事なんだけど、それを映画のポスターの真ん中に堂々と書くとこが1番エグいよね。


劇中、最もセクシーな事故の例として、ジェームス・ディーン仕様のポルシェ550スパーダーを用意し、ジェームスが死んだ正面衝突事故の再現をしたりしてたよ。






「I love ペッカー」 1998年 監督:ジョン・ウォーターズ




アイ・ラブ・ペッカーは、ジョン・ウォーターズの自伝的な話で、
写真好きの少年が作品や被写体とどう向き合うべきなのか葛藤したりするよ。



主演は、ターミネーター2で大活躍したエドワード・ファーロング。
監督はピンクフラミンゴって、オカマのおっさんが主人公で、
道端に落ちている犬のウンコを食ったりする映画で有名になった人。


「I love ペッカー」は、カメラ愛とか、映画愛とか、変人愛とかが映画から溢れてきて、
どーしょうもなく、ジョン・ウォーターズと言う人を好きになってしまうんだよね。






「ビッグ リボウスキー」 1998年 監督:コーエン・ブラザーズ




ビッグリボウスキーは、同姓同名の大金持ちと間違えられて誘拐事件に巻き込まれたおっさんの話だよ。



ミステリーな感じの作品が多いコーエン作品のコメディ映画で、
ファンキーで、ダサくて、これを初めて観た時は友達と大笑いをした。


好印象の映画だったので、数年後また観てみると、
不思議とあんまり面白くなかった。本当に不思議だったので、
また数年後に観てみようと思うんだな。






「トリックベイビー」 1999年 監督:マシュー・ブライト




刑務所から脱獄した2人の女の子が、犯罪を重ねながら逃避行する話だよ。



この映画は一般的には評価されなかった映画なんだけど、とても好きなんだ。
悪く言うと、一生懸命作ったB級映画みたいで、なんか情熱を感じるんだよね。


写真手前のマリア・セレドニオの立ち振る舞いが、モデルっぽくてかっこ良い。
僕は、このアーミーファッションを意識して、当時、耳付きの迷彩ニットを買ったしね。






「KIDS」 1995年 監督:ラリー・クラーク




ニューヨークのスケーターキッズのセックスとドラッグまみれの日常を描いた映画で、
当時に観た時は、「へー。」くらいしか思わなかったんだけど、
20代の半ば頃に観返した時は、10代の危うさの様なモノが淡々と描かれていてゾクゾクして面白かったな。



余談だけど、キッズに出演している写真左、プロスケーターのジョン・アブラハムは後にコカインのODで死亡した。
写真右の同じく、Supremeのスケーターのジャスティン・ピアーズは、25歳の時に 「世の中が嫌になった」 って理由で自殺した。
それらの事を想いながら、映画を観ると一層 感慨深い気持ちになっちゃいますね。


この時のクロエ・セヴィニーもそーだけど、ケイト・モスとか、
時々、世界はヘロイン中毒みたいな顔の女にズキュンとするよね?
みなさん、お好きなんですね。


ラリー・クラーク監督、次作の「アナザーデイ・イン・パラダイス」(1998年)も良いよ。






「ジョンズ」 1996年 監督:スコット・シルバー

ジョンズは男娼の少年を主人公にアメリカ社会の底辺の生活の様子を描いているよ。

映画や音楽を探求していくと、やはりゲイカルチャーは避けては通れないのですね。

ザ・男娼の話と言えば、ガス・ヴァン・サントの「マイ・プライベート・アイダホ」が有名だけど、
個人的にはもっとストリートと言うか、俗っぽいこちらの映画の方が好きだな。






「シングルス」 1992年 監督:キャメロン・クロウ







映画としては、ストーリーもどーでもいい感じだし、カットのテンポも悪くてつまらないんだけど、
これぞ90年代って雰囲気でダサくていいんですよ。ブリジット・フォンダはかわいいよ。

シアトルが舞台のこの映画の唯一の見所は、パールジャムや、アリス・イン・チェインズ、
サウンドガーデン、マッドハニー、とか、グランジロックバンドがチラホラ出ているトコだよ。
しかし、サウンドガーデンのクリス・コーネルは男前ですね。
90年代においても、かっこいい人はかっこいいって事が分かって良かったです。



いやー、映画って本当にいいもんですね、

さよなら、さよなら、さよなら、


Flower Flower Flower

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彼の名前はなんだったかな?

1人の人が、一生の内に少しでも関係を持つ人の数は、平均で3000人から5000人ほどらしい。

毎日、一緒に働いてたのに、すっかり忘れてしまった人や、

はたまた、たったの1日、数時間を共有しただけなのに、

色鮮やかに、とても印象に残っている人もいる。


歳を取る毎に、時々、とても、人と話すのが面倒になる時がある。

はじめまして、ごきげんよー、さようなら。


ある時、親しい人が、こんな事を言った。

出会った人の全てと、別かれたくない。と、

出来れば、それはきっと、素晴らしい事なんだろうと思う。








Ramsey Lewis - Spring High







メアリーはアメリカ人で、この那覇ミュージックのオーナーでボスだった。

イケイケで、時々、団体の客が暴れたりすると、

「キル ゼム オール (全員、ぶちころせ)」

とか言って、悪い顔をしてたけど、ゴキブリが苦手で、

ブリちゃんが出現すると、椅子をぶん投げて、外まで走って逃げていったな。


でも、時々、ボス メアリーに会いに、ヤクザの幹部も来たし、

警察の偉そうな奴も来てたし、マリーンズの将校も来てたな。






ボス・メアリーは日本語をまったく話さなかったし、覚える気も無いように思えた。

何故、こんな典型的なアメリカ人が、こんな辺鄙なところで、

こんなアホみたいな商売をする事になったのか、

僕はある時、英語の辞書とスクリーンプレイを片手に聞いてみた。





メアリーは学生時代、薬局でバイトをしながら、科学を勉強して、

エクスタシーの様なオリジナルの錠剤を練って、売ってたインテリ不良少女だったそうだ。

それで、お年頃の頃、名前は教えてくれなかったけど、モータウンのミュージシャンと結婚した。

結婚生活は数年続いて、離婚したんだけど、旦那が売れっ子だったんで、慰謝料がタンマリ貰えたそうだ。





手に余る程の金があったメアリーは、フラりと旅行に出かけ、数カ国目で沖縄に滞在した。

そしてそこで、怪しい日本人の男と知り合った。


日本男児には全国のストリップ劇場とコネクションがあって、

メアリーには金があったので、こりゃチャンス!と思い、ビジネスを始める事になった。

メアリーは、その日本男児と2度目の結婚をした。


商売は男に任せ、メアリーは一時帰国した。

しかし、数ヶ月経っても、1年経っても約束の売り上げ金は口座に振り込まれなかった。

おー、ビック・ミステイク、と気が付いたメアリーが沖縄に戻ると、

旦那は仕事もせず、1千万程の有り金の殆どを酒に変えて飲みまくり、体を壊して入院していた。

呆れたボス・メアリーは、無くした金を取り戻すべく、仕方なく沖縄に移住した。

満足する金を回収するには、10年近くかかるって言ってた。


メアリーは時々、ボーナスや、大入り手当てを配りながら僕らに

「キープ イン タッチ (ぜってー使うな)」 と、言った。

当然、若くて貧乏な僕らは、すぐに金を使ってしまうんだけど、

今でも、大きな金を使う時には、メアリーの 「キーピン・タッチ」 の声が聞こえるんだ。





この人は、耳の聞こえない おっちゃん だった。だから名前は知らない。

うまく説明できないんだけど、常連客のおっさんなんてのは、

殆どが、クソでクズで、ゲスで、ゲロみたいな人間なんだけど、

このおっちゃんだけは、なんだか、妖精みたいな雰囲気があって、

いつも眠たそうで、寂しそうで、本当に上手く言えないんだけど、

僕はこのおっちゃんが好きだったな。





フロイドさんは従業員のアメリカ人のじいさんだった。

気さくで、ファンキーで、白人としては普通なのかもしれないけど、変態だった。

「東南アジアの女が一番エロいわー」

とか言って、僕が聞いてもいないのに、時々、世界の女の事を話て聞かされた。


僕は営業中、客ウケがいいので、店ではDJ気取りでギャングスタ・ヒップホップをよくかけていた。

そして、何度かフロイドさんに「うるせーいいかげんにしろや!」 と怒られた。


「いいか、よく聞け、ギャングスタラップの歌詞の内容は、

セックスとバイオレンス、ドラッグ、そんなのばかりだ

アメリカでは、こんな曲を聴いて、若者が更に暴力を起こすんだ。」


うーん、僕は、面倒なじーさんだなと思いながら、

それじゃあと、美メロで、スローなヒップホップを流したら、

「警察を殺せ!隣町のギャングをボコれ!女をレイプしろ!って歌ってるぞ!おい止めろ!」

と、また怒られてウンザリしたんだけど、今は彼が言っていた事が正しいと分かる。





しかし、ある時、フロイドさんが僕のトコに寄ってきて、

「これ、めっちゃイイ曲だな、誰の曲?」 って聞くから、

「ライオネルリッチーやで。」 って教えてやったら、

「マジか?あのニガーのか?・・・そうかー。」 とショックを受けていた。

そー、フロイドさんはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)で、

ただ単に、黒人が嫌いだっただけなんだよ。





那覇ミュージックの日当は5千円だったけど、半分遊んでるような仕事だった。

営業中に店の入り口で、床屋ごっこしてても、まったく怒られなかった。





市村茂平さんは群馬出身のおっさんで、名義人で店長で、

ボス・メアリーの旦那と酒を飲みまくってた人だから、

この頃はもう、糖尿病の末期で、目は黄色く濁り、糞尿はすぐ垂れるし、時々、吐血もしてた。

「病院行った方がいいんじゃないっすか?」 ってアホな事言ったら、

「俺は、医者と警察は大嫌いなんだ。」 と返された。


ある時、悪酔いした客の首を絞めていたら、市村さんが珍しく出てきて仲裁に入り、

「まぁまぁ、お客さん、落ち着いてー」 なんて優しく言った。

したら、アホな客が 「なんだー、このやろー警察呼ぶぞー」 なんて言ったもんだから、

さぁ大変、市村さんの顔が大魔神みたいに変わって、客をボコボコ蹴りながら

「今すぐ呼んで来いこのやろー」 とシャウトしてた。

いつも、ウンコ臭かったけど、かっこいい人だったな。




池田大作


僕は無神論者で、誰かの作った宗教を信じるほど、素直な性格ではない。

だからと言って、新興宗教や、あらゆる宗教を信仰する人を否定もしない。

何故なら、宗教を信じる末端の人々は、心配になる程のお人好しばかりだからね。





失恋して失踪したジェフが姿を現した後、店の前でドゥルーピー達とジェフの噂話をしていた。

「あいつ、ブッディストになったらしーよ、創価学会ってゆーさ、」

すると、その日も、調子が良かったみたいで、市村さんが出てきて 「えっ?」 と言い、


「俺もだ!創価学会はナンバーワンだ!」 とふんぞり返った。


たまげた顔した僕らに気が付いて、市村さんは、少し下を向いて、

「まぁ、宗教がどーとか、教えがどーなんて話はわかんねーけどさ、

こんな俺でも迎え入れてくれたんだ、創価学会は大したもんだよ。」

と、言って事務所に引き返して行った。

確かにそーかもしれないね。





ある時、市村さんが言った。

「実は何度か病院に行ったことがあるんだ、でも、医者はみんな偉そうにしやがるだろ?

その度に、ケンカになっちゃうんだ、いつも、何度も、怒りで我を忘れるんだ、自分が嫌になるよ。」

そう言った市村さんは、医者の顔を思い出したのか、空を睨み、

その日も、仕事の終わったあと、酒を飲みに出かけていった。


市村さんの酒を飲む時の乾杯の声は、八重山スタイルで、

決まって、とびきりの笑顔で 「はなはなはな!」 だったな。



I miss You. miss You.

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アメリカ人も、日本人も、バカの考えることに、大差はない様で、

僕らはとーとー、みんなで赤いバンダナを巻くようになった。

100円ショップで買った安モンに、マーキーで名前とチーム名が記された。


トモは僕の名前で、チームの名前は 「ロスト・ソールズ」

ドゥルーピーが自信満々で考えてきた。 日本語訳は 「彷徨える魂s」


そぉ、鋭いあなたは、思っただろう、「それ、死んでんじゃん?」








Shareholder Tom - Send My Tears feat. Alison Degbe






だからって、銀行強盗し始めた訳でもないし、





ライバルや、抗争相手のチームがあった訳でもない、





ボーっとしてると、勝手に赤いバンダナを巻かれるのである。





僕達には何の目的も無かったから、ひたすら暇でしょーがなかったんだと思う。

そんな中で、些細な事件が起こった。起こしたのは写真の右端に写っているタイロン。

タイロンは我が家でみんなが寝静まった後、うっかり リッパの財布から金を取った。


すると、よっしーも、「俺はもー、3回も取られてます。」 と告白した。

「しかも、3回目は、起きてる目の前で、ドゥルーに取られました。」


この相談を受けた時、僕は安倍総理の気持ちが何となく分るような気分だった。

対等だと思いながらも、どこかでアメリカと日本の上下関係を当たり前に感じるところがある。


何はともあれ、僕らの 仲良しクラブ は崩壊し始めたんだ。





困った僕は、ドゥルーに話をして、タイロンを説教する事になった。

タイロンも自分がヘマをしたって事が分かっていたので、素直に反省していた。

本来なら、ここで一発くらいパンチするべきだったんだろうけど、

黒人はゴリラみたいで、間近で見ると怖ぇー。

アメリカが銃社会になったのは当然だと思ったな。


結局、金は使ってしまって無いってんで、

ティンバーランドのブーツでリッパに返すって事で手打ちになった。





ここは、我が家の近所にあったスラム・ジャムって名前のクラブ。

ステージにいるのは、最近、復活したらしい 餓鬼レンジャー かっこいい。


ここのクラブは、ライブイベントの時は日本人が沢山来るけど、普段はほぼ黒人しかいないトコだった。

家に帰るのに、どうしてもここの前を通らないといけないんだけど、

白人の友達と歩いてると、しょっちゅう、イカついニガー共に中指立てられた。

今時は、黒人の方が、白人を人種差別してるんじゃねーかって思う。


スラムには何回か行ったけど、フロアーでも、ビッチ同士が黒人男のことで殴りあいのケンカをしてたし、

勿論、黒人同士もよくケンカをしてた。それで時々、ケンカで人が死ぬんだけど、

不思議と新聞にもニュースにも載らなかった。

みんな知ってたけど、誰も大声では言わなかった。





ブライアンは確か30代の半ばくらいのアントニオ・バンデラスみたいな雰囲気のフーテン野朗だった。

こいつはイイ奴だけど、時々居酒屋で食い逃げするよーな胡散臭いトコもあった。


ある時、ドゥルーピーの親戚の子供が病気で死んだって悲報があり、みんなで悲しみを分かち合っていた時に、

「でも、お前らマリーンズの仕事は人殺しだろ?誰かが死んで悲しむのはおかしいじゃないか?」

と、とてもアメリカ人らしー事をサラッと言って、以来、ドゥルーピーとは犬猿の仲になった。





2001年、9月の11日、テレビに写ってる映像は映画か何かの様に思えた。

貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が突っ込む、誰もが分かりやすいテロ事件だった。

もしかしたら、日本人の僕らには海の向こうで起こる出来事は映画と変わらないのかもしれない。


しかし、ドゥルー達にとっては、とんでもない出来事だった。

ただ数年遊んで故郷に帰るバケーションの筈が、戦争モードに一変したのである。





美しさの欠片も無い日々だった。

全てが未熟で、何一つ深く考える事も無かった。

最初は、お互いを利用するようなゲスな間係で、友情なんか無かったと思う。


それなのに、ドゥルーがアフガンに出兵する前日、僕らは涙を流して別れを惜しんだ。

ドゥルーが僕に露店で買って、自分でつけていた安物のペンダントと、

年毎に更新される、古いドックタグを僕に手渡し、 「アイ ミス ユー」 と言った。

僕はそれが男には使わない言葉だと思っていたので、

「お前、ガチホモかよ?」 と言って、2人で笑って、そしてまた涙が溢れた。

それがドゥルーとの今生の別れとなった。





アメリカはウサマ・ビン・ラディンを標的にして、集団的自衛権を発動し、NATO軍を展開して戦争を始めた。

沖縄にいたマリーンズの連中も、少しづつアフガニスタンに向けて出兵して行った。


結果、NATO軍が傭兵を含めて3500人ほど死に、29000人が負傷した。

アフガニスタン軍は10000人、民間人が20000人ほど死んだ。

でも、それらのすべては、アメリカの茶番劇であったのだと言う人がいる。

それが事実なら、救いが無い話だ。

バカとクズと貧乏人と、貧しい国の人達が、茶番の為に殺された。





最近、日本でも、集団的自衛権の話が出ている。

どうやら、日本が、中国に対するアメリカの第一防衛ラインになるって事らしい。

国同士の利権で、いつも死ぬのはバカとクズと、貧乏人なんだ。嫌になるね。





気が付けば、また僕の嫌いな夏がきた。


これで、思い出のお話は終わり。

Send My Tears Away!!!



zasu

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You will bike

君はバイクに乗れるんだろうね?



in Sickness & in Health

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YUKI - うれしくって抱きあうよ













時々、神の啓示を受信して、何かをやらかす奴がいる。

バカだよね。


人は多かれ少なかれ、自分の存在には意味があると思っているところがある。

まったく無いけどね。




僕は酒が飲めない。

しかたが無いから、ドラッグを片っ端からキメてみたけど、

運良く、常用するほどハマらなかった。



それでこー思った。

僕は前世でイスラム教圏に生き、何か大業を成す途中、

ご法度の大酒飲んで大失態をカマして死んだのである。

それから輪廻転生して、ミジンコ、羽虫、ゴキブリ、どぶねずみ、ブタと生きて、死んだ頃、

閻魔大王が僕に言う。「おら、ブタ、どーするよ?次、もっぺん人間やってみっか?」

僕は、ブーブー言いながら、「じゃあ、もっぺんヤラせろ、このやろー!」 と言う。

そして、一つお願いをした訳だ。


ブタの僕 「大王様よー、出来れば次は、酒の飲めねー体にしてくんろ!」

閻魔大王 「なんで?」

ブタの僕 「いや、なんとなくだけど、」

閻魔大王 「・・いいよー」


願いは叶ったみたいだが、今度は肝心の大業が見つからない。

次に生まれ変わる時には、やっぱり壮大な目的をくれ!とお願いしようと思うんだ。








ようこそ、千里浜



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